読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あさこのゆ

産まれも育ちも現住所も北海道の母ちゃんが書いています

函館市民の半分が罹災。函館が火に包まれた日のきおく

函館

函館大火とは

1934年(昭和9年)3月21日に函館で死者2166名、焼損棟数11,105棟もの被害を発生させた大火災。 

甚大な被害はもちろん、この火災をきっかけに札幌の人口が函館を超えることになった、函館に住む多くの人が今でもよく知る出来事です。

 

あまり道外に住む人には知られていないようなのですが、私の祖母がこの火災を当時5歳で経験しており、先日初めて話を聞く機会がありましたので、ここに書き残したいと思います。

(もう85歳を過ぎているので、多少記憶が確かでない部分がありますが、その点はご容赦ください)

 

この大規模な火災は、工場や商店が火元ではありません。

その日は大変風が強い日で、一棟の小さな民家が損壊、囲炉裏の火が風で順々に燃え移り、火が広まりました。

 

まだ消火設備が整っていないという時代背景もありますが、ここまで被害が大きくなり死者が増えた原因に、函館特有の地形があります。

 

 f:id:asakonoyu:20170314050311j:image

 

このように、両サイドを海に挟まれているため普段から風が強く、火災が起きたときに逃げ場がなくなりやすいのです。

函館大火は火災による死者だけでなく、海で溺死した人や、凍死する人も多かったようです(北海道の3月はまだ寒い)。

 

5歳の女の子がたったひとりで逃げた

 

祖母の家は、画像の真ん中辺りの海に挟まれたエリアにあり、火災が起こったとき、祖母の両親、兄、長姉は外出。祖母の祖母、姉3人、祖母、弟が在宅していました。

 

火災に気がつき、祖母の祖母が中心となって家から避難しましたが、彼女は目が見えない人でした。

また、たくさんの人がごちゃまぜに逃げていたため、すぐに全員がバラバラになり、当時5歳の祖母はひとりで逃げることになったのです。

 

人の波に乗って海まで来た祖母は、海岸で数時間過ごした後、火がそばまで来たためやむなく海に入ります。

 

海に入ってからも、何時間も救助は来ず、周りには溺死する人も出てきました。5歳だった祖母は生きるために必死で泳ぎ続け、つかまるのにちょうどいいガレキを見つけて、ずっとガレキにつかまっていたようです。

 

しばらくして、ボートに乗った救助隊が祖母を救助し、祖母は無事生きて家族と会うことができました。

 

後日、祖母の祖母と、弟は2人一緒に海岸で溺死しているのが発見されました。

 

函館大火のあと、祖母の家族は家も仕事も何もかも無くなったので、秋田にいる獣医師をしている叔父の家にしばらくお世話になりました。

一家が函館に戻ることができたのは、大火から約1年後のことです。

 

話の最後に、秋田の家ではトイレに行くとき、いつも馬の近くを通らなくてはならなくて怖かった記憶があると、祖母は笑って話しました。

 

断片的ではありますが、これが函館大火を経験した祖母の記憶です。

 

 結果的に、当時の人口約21万人の約半分が罹災、鎮火まで12時間超。

全国的にはあまり知られていませんが、函館大火は近代の日本で起こった有数の大火災です。

 

 

追伸

 

祖母がもし、函館大火のときに火災に巻き込まれていたら。溺れて死んでしまっていたら。

 

父は生まれることはなく、私もここにはいません。

 

昨年、娘が生まれてきてくれて、私は今とても幸せな毎日を送っています。

それもこれも、大火の中必死に生き延びてくれた、5歳の小さな祖母のおかげです。ほんとうに、ありがとう。

 

 

おしまい。